生還

生還

ご無沙汰してます。

 

前回の投稿で終わりにするつもりでした。

 

ですが、

 

辛うじて生きてます。

 

 

ただ、少し不具合が残りました。

 

具体的にはいずれ書きますが、

 

仕事には問題のない不具合で幸いでした。

 

 

勿論、希死念慮が取れることはなく、

 

もうその点は一生の付き合いと諦めているのですが、

 

とても良い環境と素晴らしい上司の先生に恵まれた研究室におり、

 

充実はもちろん、他人への信頼感が回復してきました。

 

 

大変有り難いことに、集中講義を担当の予定を頂き、

 

日々自らの知識の整理とともに、過去の自分を振り返る毎日です。

 

どうすれば自らの経験と知識を世の中に役立てて貰えるだろうかと、

 

スライドを作ったり、資料やレジュメ、チェックリストなどの作成をしていますが、

 

聴いて下さる方の頭にすっと入って行くような資料の準備の難しさと格闘しています。

 

ですが、希死念慮は苦しくとも、大変楽しい時間を過ごしています。

 

 

人生が辛いことにはもう慣れました。

 

生きることが僕にとっては死に直面することにももはやどうとも思わないです。

 

ある臨床心理の先生が「結局死ななければいいんですよ」と言ったのを覚えています。

 

甘い。 僕に言わせれば、死んでもいいんですよ。

 

死ぬとか生きるとか、そんな些細な話はどうでもいいんです。

 

死のうが生きようが、僕が僕であるかどうか、それだけです。

 

それを否定する人とは関わりたくもないし、認めてくれる人には最大限お返しします。

 

 

ゆうこさんとゆうこさんのご家族は、僕が僕であることは認めなかった。

 

彼女らの理想の僕しか認めなかった。

 

それが唯一の結論です。

 

 

だから、はっきり言えば、早く縁が切れてよかったと思っています。

 

余程孤独の方がマシです。

 

 

最近私の地域は雨が止みません。

 

落雷でHDDが壊れ、修復もできず。

 

ですが、治すのもまた楽しいものです。

 

 

人生だってそうです。

 

落雷の直撃を受けて死んだとしても、別に構わないし、

 

生き残って傷を癒やすのだって楽しいものです。

 

 

使えばなんだって傷つきます。

 

人間も、人生も、何もかも同じです。

 

大事なことは、

 

傷ついたときに、

 

それも愛おしいと思えること。

 

 

人は傷つき傷つけ合いながら生きています。

 

だから最後は結局、

 

愛おしく許せること、

 

それだけだと思います。